2025/10/13 19:49





こんばんは、たくやです。

ぼちぼち投稿と言いましたが、なるべく日曜の夜に投稿していこうと思ってます。

仕事が始まる憂鬱な日曜の夜にせめてもの慰めになればと笑。

と言いながら連休最終日、月曜投稿になり申し訳ございません。

私の職務怠慢です。




さて商品紹介していこうと思いますが。

今回もタイトルが何やらって感じですね。

タイトル回収はブログの最後にご紹介しようと思っているので

是非最後までご覧ください。

ではでは皆さんは最近、痛々しいばかりの"昂揚"はしましたか?

痛々しいとまではいかなくても"昂揚"はしましたか?

これも歳を重ねれば重ねるほど無くなっていくものです。

そして、服での"昂揚"。

皆さんは最近服での"昂揚"はしましたか?

した方もいれば、してない方もいらっしゃるのではないでしょうか。

私はと言うと、

最近親交のある同業者の店で"昂揚"を経験しました。

そう、タイトル通りの"痛々しいばかりの昂揚"

なぜ私がその"昂揚"を経験することができたのか

理由はいくつかあります。

一つは私が今まで通ってこなかったジャンルだったから。

もう一つは彼の提案力。

そして彼自身の服に対する愛と熱意。

要するに。

彼にしてやられたと言うことですね笑。

でもまぁ、

私が今まで触れずに手に取ってこなかったジャンルの説明、提案、愛がほんとに凄かったんですよ。

その全てが相まったことで"痛々しいばかりの"昂揚"を得られた訳です。

当たり前ですが、私自身若い頃は服の知識なんか全然無かったです。

無論今でも日々勉強の毎日ですが。

だからこそ接客してもらって、いろいろ教えてもらって、いろんな服を見て、買って。

新しいことを知って、経験して、"昂揚"していました。

ですが、

歳を重ねて、経験を重ねて、知識も増えてくると"昂揚"することも減ってくるんですよね。

ここで分かったのは服での"昂揚"は服そのものの魅力も必要なんですが、

一番大事なのは服が持つ魅力を提案して伝える私たち自身であることを改めて気付かされました。

私たち自身が日々"昂揚"を経験して、自分をアップデートしていかなければ、

皆様に"昂揚"を経験してもらうことなんかできないです。

それも中々難しいことではありますが。

なので日々もがいてます。

そう、積極は如何に努めても猶ほ神の線より遠しです!!




そんな"昂揚"を経験させてくれた彼とこんな話をしました。

「洋服は楽しくて、素晴らしいものってことをしっかり伝えていかないといけない」

それは私たちの勤めでもあり、使命です。

当店を含めた系列店には大学生や専門学生などの若いお客様も来てくださいます。

彼らといろいろ話して、いろいろな服を提案すると

いつも"昂揚"してくれます。

それは正に"痛々しいばかりの昂揚"

彼らのような、その感覚は忘れたくないですし、忘れてはいけないものだと思います。

最近服での"昂揚"を経験していない方は

今まで通ってこなかったジャンルに触れてみるのもアリなのではないでしょうか。

服の細かいジャンルだけではなく

古着、新品問わず。

何か得られるものはきっとあるはずです。

決して無駄なことではありません。

ファッションの幅が広がれば服はもっと楽しくなるはずです。

なんと言ってもファッションというものは何歳になっても楽しんでいける娯楽の一つ。

なので、私たちも皆様に"昂揚"していただけるよう日々邁進して参ります。

そう、積極は如何に努めても猶ほ神の線より遠しです!!

これ今週のキーワードです。

ご来店していただけるお客様には、私にこのキーワードをお伝えください。

お菓子プレゼントします笑。

まぁ皆様も食わず嫌いせず、いろいろな服を手に取って、着てみてください。




また長くなってしましましたが、商品紹介を笑。









70's~ "LONDON FOG"  chesterfield coat / made in USA

size 38

古着でのコートと言えばなブランドですね。

見かけることも手に取ることも多いかと。

形は所謂チェスターフィールド。

無駄が無くスタイリッシュ。

それ故に普遍的で流行り廃り無く着れるアイテム。

無駄が無くスタイリッシュと言うのは言い換えれば、

変に脚色する必要も無いほど完成されていると言うこと。

そんなアメリカを代表するブランドですが、

創業は1923年の老舗ブランド。

30年代にはアメリカ海軍の為に防水コートを生産。

50年代にはデュポン社と提携して撥水性のあるコートを作ったり、レディースコートも生産。

70年代には初のショップをオープン。

この時期のアメリカで売れていたレインコートの2/3はロンドンフォグのものだったそう。

実績も実力もある名ブランドですね。










チェスターコートの特徴と言えば

テーラードジャケットのようなラペル。

基本的にもっと大振りなラペルが多いですが

こちらは小振りでスマート。

良い意味でチェスターコートの持つカッチリした印象が無いです。









普通はトップボタンまで留めないですが

私は敢えて留めてます。

チェスターの持つカッチリしたスマートな印象を消し去ってます。

でも良いんです。

ファッションは自由なんです。笑









どうでしょう。

全くチェスター感無いでしょう。笑

ちなみに生地はテクスチャードポリエステルと言う合成繊維。

耐久性や速乾性に加え、伸縮性と柔らかい風合いのある生地に。

技術の粋を結集して作っている訳ですね。









フロントはセットインスリーブで

バックはラグランスリーブ。

センターベントはボタン留め可能。

そして、裏地は取り外し可能なアクリルボアライナー付き。

春秋冬の3シーズン着ていただけるので頼もしい相棒になってくれるはずです。









ご紹介は以上になります。

カジュアルシーンのみならず

ビジネスシーンでも着ていただける良いコート。

コートって知れば知るほど、掘れば掘るほど奥深くおもしろいんです。

メンズのコートはレディース以上に元々の基本形と言える種類が沢山あります。

その多くが戦場での派生だったり、漁師もしくは狩猟用だったり。

実用的なルーツを持つものが多く、おもしろいの一言に尽きます。

皆さんも是非調べて、手に取って、着てみてください。

ご紹介したコートはオンラインにも掲載しております。

着用画像で一緒に履いている赤のスラックスも掲載していますので

ご覧になってみてください。









はい、タイトル回収です。

"痛々しいばかりの昂揚"と言うのは

小説家である司馬遼太郎の名作

「坂の上の雲」

から引用させていただきました。

全文はこのようになってます。

まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。

小さなといえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。

産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年の間、読書階級であった旧士族しかなかった。

明治維新によって、日本人ははじめて近代的な「国家」というものをもった。

誰もが「国民」になった。

不慣れながら「国民」になった日本人たちは、

日本史上の最初の体験者としてその新鮮さに昂揚した。

この痛々しいばかりの昂揚がわからなければ、この段階の歴史はわからない。

社会のどういう階層のどういう家の子でも、ある一定の資格を取るために必要な記憶力と根気さえあれば、

博士にも官吏にも軍人にも教師にもなりえた。

この時代の明るさは、こういう楽天主義から来ている。

今から思えば実に滑稽なことに、米と絹の他に主要産業のないこの国家の連中が

ヨーロッパ先進国と同じ海軍を持とうとした。

陸軍も同様である。

財政が成り立つはずは無い。

が、ともかくも近代国家を創り上げようというのは、

もともと維新成立の大目的であったし、

維新後の新国民達の「少年のような希望」であった。

この物語は、その小さな国がヨーロッパにおける最も古い大国の一つロシアと対決し、

どのように振る舞ったかという物語である。

主人公は、あるいはこの時代の小さな日本ということになるかもしれない。

ともかくも、我々は3人の人物の跡を追わねばならない。

四国は伊予の松山に、三人の男がいた。

この古い城下町に生まれた秋山真之は、

日露戦争が起こるにあたって、

勝利は不可能に近いといわれたバルチック艦隊を滅ぼすに至る作戦を立て、

それを実施した。

その兄の秋山好古は、

日本の騎兵を育成し、

史上最強の騎兵といわれるコサック師団を破るという奇蹟を遂げた。

もうひとりは、俳句、短歌といった日本の古い短詩型に新風を入れてその中興の祖になった、

俳人正岡子規である。

彼らは、明治という時代人の体質で、

前をのみ見つめながら歩く。

登っていく坂の上の青い天に、もし一朶(いちだ)の白い雲が輝いているとすれば、

それのみを見つめて、坂を登ってゆくであろう。


と、このような一節です。

私は高校生の頃にこの小説に出会い、

司馬遼太郎の小説を読み漁りました。

この”痛々しいばかりの昂揚”がわからなければ、この段階の歴史はわからない。

服も"痛々しいばかりの昂揚"を経験しなければ、服引いてはファッションはわからない。

と私は思っております。

今や遠い昭和の時代には

「明治はよかった」とよく叫ばれていたそう。

「降る雪や 明治は遠く なりにけり」という中村草田男の句が流行したほど。

令和の世を生きる私たちも後世の人たちに憧れられるような

良い文化を作っていきましょう。

文化とは私たち庶民が作っていくものなのですから。

ではまた!!